終わらない宿題
 
 
 バカでかいゴルフ場を横目に“グスクロード”を走っていくと、“糸数城跡”に差し掛かった。
 …“糸数”と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、僕の場合“糸数壕”だろうか。
 “糸数壕”―― 別名“アブチラガマ”。沖縄戦のとき、“南風原陸軍病院”の“糸数分室”として機能した洞窟。その内情は、とても凄惨なものだったそうだ。
 ほとんど死にかけている重症患者がひしめき合う壕内。麻酔無しでノコギリで身体を切断される負傷者の絶叫、ウジにまみれる患者、脳症患者が這いずり回り、呻き声と死臭が充満する――
 そんな中、いわゆる“ひめゆり部隊”の女学生たちが、自分の命の危険を感じつつ、看護にあたっていた。…きっと、その場に居合わせた人でなければ理解することの不可能な状況。
 僕は「戦争のことってよく分からない」とついつい言ってしまうんだけど、ホントにつくづくそう思う。だって、そんな酷い状態って、想像がつく?もしも想像がついたところで、それはただの想像に過ぎないわけだし。
 
 この“糸数壕”には、今でも入壕することが出来る。“平和教育”とか“平和ガイド”の一環として、内部を案内してくれたりもするらしい。
 …どうしよう、入ってみようかなぁ、糸数壕に。
 とりあえず、糸数壕のそばまでいってみるとこにした。

 さて、糸数壕は“糸数城跡”のすぐ脇の、ごく普通の住宅と畑が並ぶ町の中にあった。
 僕は糸数壕の解説が書かれたボードの前に立って、ふと思い出した。「そう言えば、ここに入るのに懐中電灯とかが必要だったんだっけ?…そんなもん、持って来てないよ…あ、ライターがあるけど…壕の中は火気厳禁なんだろうか?」
 そんなことをウダウダと考えていると、この集落に面した広い道路に大型バスがやってきて、壕の入り口付近に停車した。
 バスの中からは、おそらく高校生だろう学生さんたちが、手に軍手をはめながら、ゾロゾロと降りてきてこちらに向かってくる。
 僕は、何故だかここでたくさんの人と遭遇するのがいやだったので、壕から離れることにした。
 しかし今思えば、我ながらよくもまぁ一人で壕の中に入ろうなんて考えたもんだなぁ、とちょっと呆れてしまう。
 車に戻って、僕はしばらく考え込んでしまった。
 僕らは思いのほかたやすく「戦争反対」とか「恒久平和」などと口にするけれど、それって実はほとんど実体の無いものなんじゃないのか?いつの間にか“そういうものだ”と植え付けられた偶像のようなものなんじゃないだろうか?
 …そう思うと、今僕が生きているこの世界が、急に脆弱なものに感じられてくる。人が当たり前のことと信じている、あるいは信じようとしている“良心の最後の砦”が、少しづつ崩れ始めている現実―― 何かのきっかけさえあれば、グルリと価値観が反転してしまうんじゃないか、という不安。
 昨日、沖縄に着いたときにラジオで聞いた在沖米兵の事件のこと、そして潜水艦と水産高校実習船の事故、不況、社会不安…だんだん重なってくると思わない?60年前の日本の状況と…
 「そりゃあアンタの考え過ぎだ」と誰かに笑い飛ばしてもらいたい。僕は心底そう思った。
 ―― 信じるしかないんだろうねぇ。僕は絶対“アブチラガマ”のような地獄の中で生きるのも死ぬもの御免だし、きっとみんなそう思うに違いない。“そのとき”になって「これもやむを得ないことなのだ」なんて言わないでくれよ、と。
 
 話がヘビーになっちゃったけど、どうかこんな僕のグズグズとした考えが現実のものにならないように、と祈るような気持ち。
 べつに道徳とか倫理とかじゃなく、善人振ってるわけでもなくてね。だってヤじゃん、そんな死に方するの。ねぇ。
 
 …さて、そろそろ行くか。ホントは入ってみたかったけど、“糸数壕”に。…ま、それはまた次の機会に、ということで。
 

“糸数壕(アブチラガマ)”。
地獄のような野戦病院と化した壕。
知れば知るほど恐ろしくなるその状態。

  

壕の前に集まる修学旅行の学生さん。
この後、軍手に懐中電灯を握って内部へと…
彼らは何を感じ取っただろう。

  

 “糸数壕”と通りを挟んだ向かい側に、“糸数城跡”がある。ちょっと覗いてみることにしよう。
 急な上り坂を上り切ると、石積みの城壁が見えてくる。でも、ここは今まで見てきた城跡(『今帰仁』とか『座喜味』とか)とは違って、ほとんど整備らしい整備もされておらず、どこか寂しげな雰囲気が漂っていた。
 城壁の奥の方で、ショベルカーやトラックがゆっくりと動いていた。何の工事をしているところなのかは分からなかったが、ひょっとすると、世界遺産に登録された城跡のように、きっちりと整備するつもりなのかもしれない。
 …このままでも、それはそれで良いような気もするけどなぁ。この寂寥感がたまらない、という物好きも居るだろうし(←僕)。でも、確かに客は呼べないわな、これじゃ。
 少し城壁の周辺をうろついてみたが、工事中の人が「なんだ?アイツ。何しに来たんだ?」というような顔で僕を見るのでちっとも落ち着いて見物出来ない。…もう帰ろう。
 
 今度、また糸数に来たら、ここにも寄ってみることにしよう。もしかすると、見違えるぐらいに変わっているかもしれないし、ぜんぜん変わっていないかもしれないし。どっちにしろ、確認しに来なくちゃな。
 …俺が確認したところで、何がどうなるというわけじゃないけどさ。
 

“糸数城跡”。
結構ワイルドな状態でした。
何やら工事をしていました。整備してるのかも。

  

糸数の高台にあります。
…何だかえらく荒涼とした感じがしますけど(^_^;)
手付かず、と言えば、確かに手付かず…

  

もっと城跡の中まで入れるのかもしれないけど…
工事してる人も居たので今日は大人しく帰ります。
ここからは奥武島や島尻地方が一望できるらしいです。

  

 南部から那覇に戻って来た。
 飛行機の時間まで、国際通り近辺をフラフラしようと思った。それに、腹も減ったし。
 さて、どこで飯を食うかな〜と国際通りを歩いていると、『比屋定』という店が目に留まった。
 いつも気になりながらも店の前を素通りしているけど…今日はちょっとこの店に入ってみようかなぁ。

 『比屋定』に入ると、店内には観光で訪れたお客と地元のお客がほどよい塩梅で席を埋めていた。
 僕は空いた席に適当に座り、メニューとしばらくニラメッコ。う〜ん、ついつい“ポーク玉子”に目が行ってしまう。だがしかし!いつもいつもポーク玉子じゃ芸が無い。今日こそは何か違う料理を頼んでやるぞ!
 「(メニューは)お決まりですか〜」と店の人に訊かれた。
 「う〜んと、じゃあ…“トーフチャンプルー定食”を…」とっさにそう答えてしまった。ハッ!しまったぁ!これまたいつもと同じような料理じゃんか!
 言ってしまってから、僕は後悔した。たまには“昆布イリチー”とか“ゆし豆腐”とか、普段滅多に頼まない料理を注文するべきだったのに〜!…反射的に“トーフチャンプルー”という単語が口から飛び出してしまった。俺ってつくづくバカだよ〜!
 ―― しかし、それから数分後、目の前に“トーフチャンプルー定食”が運ばれてくると、さっきまでの自責の念はあっさりと消え失せ、「うん、やっぱりこれで良かったんだ♪」と納得。すっかりご機嫌でトーフチャンプルーに舌鼓。
 この“トーフチャンプルー”にしろ、“ポーク玉子”にしろ、料理としては極めてシンプルなものなのに、何で僕はこんなに翻弄されてしまうのだろう。この“僕にとっての沖縄料理2強”の前では、どんなに手を掛けたご馳走でさえあえなく退散を余儀なくされてしまうのだ。例え“フォアグラとトリュフの何たらソース和え”なんて目ン玉飛び出そうな高級料理と一緒に出されたとしても、僕は一切の迷いもなく“ポーク玉子”を選択する。絶対に。
 たぶん、僕の“ポーク玉子”と“トーフチャンプルー”への愛情の深さは、日本でも10本の指に入るはずだ。かなり本気でそう思っている。
 インド人最大の功績が“ゼロの概念の発見”だとするならば、アメリカ人最大の功績は“ポーク缶を沖縄に持ち込んだこと”だと言えよう。やんばるの森の中で戦闘訓練してるヒマがあるのなら、もっとせっせとポーク缶を作って持ってこいやぁ、と言ってやりたい。
 
 あ〜、食った食った。すっかり僕は満足しましたぜ。
 じゃあ、腹ごなしがてら、ちょっと市場のほうに行ってみよう。
  

沖縄タイムス。写真はコザのマラソンの様子。
昨日(2/18)開催されていた大会です。
文字が大きくなったんだって。確かに読みやすい。

  

『比屋定』のトーフチャンプルー定食。
値段も手頃でボリュームもあり。
久々に食べた「これぞまさに!」なトーフチャンプルー♪

  

 …だけど、俺もホントに好きだなぁ、市場が。昨夜も来たというのに…
 僕は“市場本通り”を抜けて、適当に気の向くままに横道に入り、何の目的も無しに彷徨(さまよ)い歩いた。
 と、アーケードを抜け切ったところで、何やら大きめの建物に出くわした。…何スか?これ。
 建物の壁には『第二牧志公設市場』と書かれてある。…第二?へ〜、こんなものがあったなんて、まったく知らなかった。
 …いや、厳密に言うと、この場所には昔一度来たことがあった。この近くに床屋があって、そこで僕は髪を切ってもらったことがあるのだ。
 でも、そのときはこの建物のことなど、まったく目に入らなかったらしい。
 そう言われてみれば、あの毎度おなじみの“市場本通り”の中にある公設市場の入り口には『第一公設市場』と書いてあったような気がする。
 だが、この『第二牧志公設市場』の周辺には、あまり人影がない。いかにも地元の人といった感じの通行人や、これまた地元の子供たちがポツリポツリと遊んでいる姿はあるけれど…ヤケに閑散としている感じ。
 で、『第二市場』の中をソォ〜ッと覗いて見ると…ありゃま、中はすっかりもぬけの殻状態。テナントはことごとく撤収してしまっているようだ。…ちょっと、今は亡き『国際ショッピングセンター』を彷彿とさせる、寂しげな光景。すっかり黄昏(たそがれ)てしまいます。
 まったく人の気配が無い、というわけでもなくて、外階段では親子連れやアンマーと擦れ違ったりもする。中のロビー(?)の椅子には幾人かのオバァが悠々と座って、何やら世間話をしている姿も見られた。
 …しかし、ここって“市場”のイメージとは程遠い状況。ひょっとして、閉鎖されたりしないだろうか?と心配になってくるほどに。
 
 それにしても、このやさぐれた路地裏っぽい空気。…実は、こういうの、結構好きだったりする♪
 路地裏とは言っても、浜田省吾(♪路地裏の少年)やブルース・スプリングスティーン(♪ジャングルランド)が描くところのストリート感覚な“路地裏”と言うよりは、もっとこうディープな…一歩間違えると菊池章子(♪星の流れに)とか西田佐知子(♪アカシアの雨がやむとき)あたりがドップリと似合ってしまいそうな気だる〜い感じ。
 ―― ここまで言うと、ちょっと失礼かもね。ごめんなさい。
 でも、僕の頭の中には♪星の〜流れに〜身を占ってぇ〜 という諦念感あふれるフレーズが渦を巻いてしまっていた。
 …いかん!このままじゃ、どんよりとした気分のまま『月刊・一泊二日』がエンディングを迎えてしまうじゃないか!
 
 僕は気を取り直すために、再び活気付く国際通りに戻ることにした。
 

マチグヮーの外れ、浮島通りの近く。
何度も来ているはずなのに、まだまだ知らない所が…
やっぱりここは、奥が深い。

  

こんなのがあったなんて、知らなかったぁ〜。
テナント(?)には床屋さんも入ってます。
…床屋さんの三色ひねり棒だけがクルクルと回転中…

  

地下のほうには人の気配があったけど…
1階はほとんどの店が閉店状態。
…この市場、大丈夫なのかなぁ?

  

ね、もうすっかり撤退してるでしょ?
ひょっとして、閉鎖されちゃうんだろうか?
寂しい風が吹き抜けていくよ…

  

“第二市場”のすぐそばにあるマンション。
これまた何ともディープ感漂うマンションですが。
落書きとかすんなよ。マンションなんだからさぁ…

  

 国際通りに戻って、適当にあっち覗きこっち覗きしているうちに、そろそろ空港に向かわなくてはいけない時間になった。
 …それにしても、今日はこれでよかったんだろうか?何だかぜんぜん宛てもなくフラフラと移動してばかりいたけど…
 まぁ、今さら後悔したところでもう遅い。

 那覇空港に着いて、飛行機の時間まで少しだけ空港内を見て回った後、出発ロビーに向かおうとすると、そこには“しずかさん”が居た。僕はものすごくビックリした。
 しずかさんは、仕事が終わった後すぐに空港に来てくれたのだった。とてもうれしかった。
 「でも、無理して来なくてもイイよ、って昨夜言ったのに〜」と僕が言うと、
 「大丈夫。それに、二人の写真を撮って無かったから、昨日は」としずかさんは言った。
 僕もしずかさんもあまり時間が無かったので、ちょっとだけ話をして記念写真を撮って別れた。空港から去って行くしずかさんの背中を見送りながら、僕は何だか幸せな気持ちになっていた。
 いつだって、僕は沖縄にやって来ては、そこで会う人々や出来事に、勇気付けてもらったり、大切なことを教えて貰ってばかりいる。
 …たぶん、僕がこんな旅行記を性懲りもなくダラダラと書き殴り続けているのは、僕が見てきた沖縄のことを、そしてそのとき僕が感じたことを、何かの形に残しておきたいからなんだろうと思う。
 旅行記を振り返れば、そのときに感じた陽射しや空気、お会いした人たちの顔や言葉が甦ってくる。
 つくづく、「沖縄と出会えてよかったなぁ」と思う。もしも出会っていなかったら、おそらく僕は、今の僕とはまったく違う人生を送っているだろうと。
 たとえ貯金残高がスッカラカンになろうとも、旅行から戻った翌日の仕事が死ぬほど辛かろうと、それでもやっぱり僕は沖縄にやって来てしまう。そして、そこで掛け替えのないものに出会う、気付く。
 僕には、そんな場所がある。これって、とても幸せなことだよね。

 …とまぁ、去年の3月から一年間続けてきた『月刊・一泊二日』は、これにておしまいです。
 当初は「これが終わったら、もうしばらく沖縄旅行はしなくてもイイかなぁ」と思っていたんだけど、焼け石に水でした。
 むしろ逆に「あ、あそこにも寄ればよかった!」とか「もう一度来てみたい!」とか、沖縄病はその度合いを増すばかり…
 何だかホントに怖くなってきた。これじゃあ、いつまで経っても沖縄通(がよ)いが終わらない…無限に続く蟻地獄状態。
 その上、僕はそんな蟻地獄の中へと埋没していく感覚を密かに歓んで居たりする。まったく性質(タチ)が悪い。
 というわけで、今後も“蟻地獄実況中継”は果てしなく続く――
 

『MAXY』と『モナコ』。
那覇じゃあ幅利かせててるよね、モナコ。
牧志→MAXYというセンスは如何なものかと。

  

『三越』と『沖縄ドレスメーカー女学院』。
“女学院”というあたりにそこはかとない風情が…?
三越、実は入ったことないです。

  

…すごいタイトルですけども。
沖縄限定のCDです。通販もしないという徹底振り。
4月で活動終了しちゃうらしい、Cocco。

  

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